こんにちは。石井大成です。1年とちょっと、学生歌人の一首評をさせていただきました。一首評と言いながらずいぶん一首の枠を出たことも書いたし、好き勝手やらせていただいてとても恐縮です。基本的に文章が堅くて内容は暑苦しくて、さらにテンション任せなこともある月連載でした。褒めるとすればたくさんたくさん書いたこと、学生短歌会を被らせずに書いたことでしょうか。正直、第一回を読み直すとその拙さに赤面します。逆に言えばそのくらい、この企画に成長させていただきました。
さて、先日学生短歌会合同合宿に参加してきました。学生歌人との交流は回を増すごとに知り合いも増え、とてもありがたく思います。そんななかふと思ったのは、5年前、そして5年後、この場にいる歌人のほとんどは学生ではないということ。学生短歌という世界はそれほどまでに巡りのはやい、それこそあってないような世界です。そもそもこの機械的な枠組みは、その内実をなにひとつ縛ることができません。むしろそんな半自動的に流れる世界だからこそ、内から変な淀みが生まれにくいのだと、信じてるし願っています。
もともと月連載をするために何となく設けた縛りですが、やはり「学生歌人はこうだ!」みたいな大発見はありませんでした。ただわかったのは、こんな縛りを設けなければ出会えなかった歌がたくさんあることです。この連載がなければ読めなかったであろう機関紙は両手じゃ効かない気がします。学生のジャンルだけでこうなのだから、一歩外に出ればそれこそ一人の人間が無作為に掬えるのはほんの僅かでしょう。短歌の歴史や歌壇の流れに疎い僕の目にも明らかなくらい、今の世の中には短歌が溢れています(あくまで短歌世界のキャパに対してですが)。短歌そのものの価値をもっと上げれば歌人みんなが住みよくなるとは思います。ただぶっちゃけてしまうと、僕はあまりそういうことに興味がありません。なのでこの飽和した現状を提示することを、ひとまずは僕の1年間の連載の成果としたいと思います。
と、少しネガティブな結論に達してしまいましたが、本心を包まずに言うと、とても評するのが楽しかったです。幸せな1年でした。学生短歌、よいですよ。
最後に、この1年間僕の連載に触れていただいたすべての方に心から感謝いたしす。ありがとうございました。またどこかで。
H31年 3月27日 石井大成