だから先生、苦労と努力は違うんだ。彼は苦労のイチローだった。
上梨祐奨(「ポストモダンを生きている」/『象 第4号』より)
人を説得することは難しい。のはひとえに説得されるのが難しいからだろう。人は心のどこかで説得されることを拒んでいるような気がする。なぜだろう。他人の意思によって自分の意思が変わる、そのことに慎重なのだろうか。意思を意思の力で変える。短歌を詠むことは、説得という側面をもっているかもしれない。自身の感情を、ポエジーを、言葉と技を尽くして説得する。この説得は読者の存在を前提としているが、別に歩み寄りに直結するわけではない。むしろ説得とは自我の押しつけに近い、堅い攻防戦だと思う。なぜなら説得されるのは難しい。話が堂々巡りのようで申し訳ないのだが、だからこそ説得という営みに人は力を込める。
今回の掲出歌は象短歌会の機関誌「象 第4号」から。なのだが、僕がこの歌を初めて読んだのは「ねむらない樹 vol.1」(書肆侃侃房 2018年)の特集「新世代がいま届けたい現代短歌100」だった。この企画は4人の選者が2001年以降に発表された短歌を対象に100首のアンソロジーを編むというもの。そのこともあってしばらくは連作を横に置き、独立した一首としてこの歌の読みを進めたい。
あらためて説得の歌だと思う。少し言葉を足すなら「説得する力の歌」。「苦労と努力は違う」という意見をもって他者を説得する、その意思が美しい歌だ。苦労と努力の違い。どちらも頑張るという点ではおなじだが、異なるのは「報われ度」だろうか。言われてみれば努力とは(よいものでも悪いものでも)結果の存在を前提としていて、苦労にはその前提がない。「苦労と努力は違う」とは魅力的なフレーズだと思う。(少なくとも僕にとっては)ほどよく新鮮で、考えがいがあって、かつ真実味がある。スマートな、ある種完成されたフレーズである二句三句に対し、下の句で行われているのはまさに「説得」だ。
アンソロジー選者のひとりである伊舎堂仁はこの歌の評で「〈イチロー〉でことわざが生まれた」と述べている。なるほど「苦労のイチロー」にはことわざにも似たキャッチーさを感じる。それほどまでにイチローの象徴性や存在感は大きく、「苦労」という言葉との(対照的な)マッチングがよい。イチローは天才だ。しかも努力という概念に親和性の高い天才。頑張って、しかもそれが高いレベルで報われてきたのが本当のイチローなら、「苦労のイチロー」はその「苦労バージョン」である。本当に頑張ったのだけど、それがイチローレベルの絶対値で「報われなかった」。「苦労のイチロー」は当然造語だが、ここまでの認識を読者の頭に(無意識レベルでも)に構築させうるところがこのフレーズの優れた点だ。優れたフレーズと優れたフレーズ。それでも僕にはこの歌があくまで泥臭いものとして映る。ひとつはフレーズとしての力によってあえて細部を語らず、読みを読者の中で構築させる臨場感。ひとつはイチローレベルで頑張りが報われない悲惨さ。なにより、優れたフレーズを優れたフレーズで「説得」しようとしたことではないだろうか。「苦労と努力は違う」という概念はこのフレーズ単体でも理解できる。だが下の句はそんな表面的なレベルでの理解を許さず、より一層の臨場感をもって読者を説得しにかかる。苦労と努力は違うという聞こえがよい、結果論めいた真理をそれでも実感として捉えさせようとする圧力が、なんとも泥臭くて美しく見えるのかもしれない。
この説得は誰のためのものなのだろうか、という問いを考えるなら、やはりそれは「彼」のためなのだろう。僕たちは当然ながら「彼」のことを知らない。頑張ったけど報われなくて、「イチローだった」という過去形からその取り返しのつかなさが窺る。しかしそれくらいだ。正直に言ってしまえば、説得されるにはあまりにも共有の情報が少ない。説得という営みそのものははなから成功しないのだろう。それでも伝えたいという説得の意思そのものが、むしろこの歌の主眼であるように思う。
ここで連作「ポストモダンを生きている」中の一首としてこの歌を見ていきたい。冒頭で歌は読者への説得という側面をもつことに触れたが、この歌の説得の対象は直接的には読者ではない。形式上は初句の「先生」に向いている。「だから」の熱量や主張をそのまま切り取ってきたような表記、文体の効果もさることながら、連作中のなかでの「先生」は存在が淡くなる。
天秤は最初から傾いていた表彰状は便所の紙だ
夢のない国だと思うワイシャツの襟の黄ばみが洗われるまで
(「ポストモダンを生きている」)
ポストモダンというおおきな現実に向けられた不安、不満、怒り。あらゆるマイナスな感情が、25首の連作で様々な方向に向けられている。この連作での「先生」はどのようなニュアンスを持ちうるだろうか。狭義には「結果のことを考えずただ頑張ることを強いた存在」の象徴。しかしこの連作においては「先生」の背後にある社会への説得のために心血を注いでいるような気がしてならない。先生も苦労も努力もイチローもそして彼も、作者による説得の、その大きな意思の力が生み出したものかもしれない。
石井 大成