スワンボートめっちゃいいじゃん諸々のあをにも染まず君とただよう
草間凡平(立命大学短歌会)(歌会たかまがはら2017年12月号採用歌より)
この歌を一読したときに心の中で「めっちゃいいじゃん」と思ってしまい、作者の思惑にはまったような、そんな不思議で幸せな気分になった。
いわずもがなこの歌のベースとなっているのは
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
若山牧水(歌集「海の声」1908年 より)
という超がつくほどの名歌である。中学校の国語の教科書で習った方も多いのではないだろうか。色彩、白鳥の動き、自然美など、あらゆる角度から情景をありありと表現しながら、その中に自身の心情を詠み込む。一見シンプルな構図のようで非常に密度の濃い歌だ。
このままでは牧水の一首評になってしまう(ベつにそれでもいいのだが・・・・・・)ので、掲出歌に話を戻そう。デートだろうか。恋人と思われる「君」とスワンボートに乗り、その楽しさに主体は感銘を受けている。幸せだ。今回はこの歌を「アレンジ」「下敷き」の2つのポイントで紐解いていこうと思う。
まずは掲出歌の中で、作者が牧水の歌にアレンジを加えた点について。この歌は牧水の歌の初句「白鳥」を「スワンボート」と変換したところからスタートしている。この強引とまで言える言い換えが気の抜けたユーモアを生み、歌全体にどことなく平和な雰囲気をもたらしている。そして特筆したいのは二句目の「めっちゃいいじゃん」だ。この口からそのまま出てきたような、まさに口語と呼べる表現が牧水の歌をアレンジしていることと相まって、一首の中で強い存在感を放っている。このように、作者は歌の中に口語を織り込むことに非常に長けている。たとえば
白身魚くずれやすくて僕などは電信柱によりかかりがち
(「pluvo tago」『立命短歌5号』より)
この「僕などは」「よりかかりがち」などの口語を丁寧な観察や技巧のなかに織り込むことで、主体の意思の存在を際立たせている。掲出歌の「めっちゃいいじゃん」のもたらす効果は、実はこれだけではない。「めっちゃ」という強い表現を使うということは、「いい」ことに対してそれなりに驚き、ひいては意外性にも似た感情があるのだ。つまり「めっちゃいいじゃん」は(スワンボートってちょっと恥ずかしいし気が進まなかったけどいざ乗ってみたら)「めっちゃいいじゃん」という主体の感情の変化、ストーリーを連想させるのである。
少し熱くなってしまったので話題を次に移そう。掲出歌が牧水の歌をどのように「下敷きに」しているか、である。三句目の「諸々の」を見ていこう。この「諸々のあを」とは牧水の歌における「空の青海のあを」をうけている。空と海の青色に白鳥が染まらない、という構図は牧水の歌において中核をなすものである。それを「諸々」というなんともおおざっぱな表現に落とし込んでいる。なぜだろうか。じつは掲出歌と牧水の歌とでは「あをにも染まず」の位置が少し異なっている(掲出歌は四句目、牧水の歌は四句目と結句の句跨り)。空と海を「諸々」としたことで「あをにも染まず」が三音ぶん前倒しされているのだ。ではその三音にはなにが当てはまったのか。そう、「君と」である。牧水の歌における1つのテーマである「白鳥の孤独」と相反する想いがここで登場するのだ。少し読み過ぎなのかもしれない。しかし「あをに染まずただよふ」というベースの中に「君と」が放り込まれている。この点を踏まえても元の歌を巧みに下敷きにし、「君」の存在を際立たせているといえる。
掲出歌は「歌会たかまがはら」2017年12月号において、こちらも学生歌人の初谷むいさん(北海道大学短歌会)に選ばれたものである。印象的だったのは初谷さんの「全体的に歌の雰囲気は幸せだけど、主体がそれを素直に受け入れられてない感じがしてとても良い」という評だ。牧水の歌のイメージがそうさせるのか、あるいは牧水の歌になぞらえるという歌の姿勢がそうさせるのか。いずれにせよ掲出歌がおよそ110年前の名歌をアレンジし、下敷きにし、そして共鳴し合っていることに間違いはないだろう。
石井大成